fnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfn

            メール・マガジン

       「FNサービス 問題解決おたすけマン」

==================================================================

    ★第019号       ’99−10−29★

==================================================================

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     私の「聖書」 (2)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

●ヘンリー・フォード1世の

 

Today and Tomorrow の原書は、残念ながら手にしたことがありません。

ここでは、その訳本「フォード経営」(東洋経済新報・昭和43年刊)に

基づいて述べていることを、重ねてお断わりしておきます。

 

***************

 

 

 

●この本は全24章、

 

それらのどれも、当時の私には「光」と見えました。が、今の時点でお読みに

なる人には、むしろアタリマエと思われるところも多いでしょう。 たとえば、

第八章「無駄から学ぶ」、第十一章「木材の節約」などに見られる「節約」や

「リサイクル」のアイデアです。

 

 

折しも高度成長時代、世の中「行け行け!」で盛り上がっておりましたから、

控えめな私(なのですよ、ほんとに)の流儀は、消極的と見られたものです。

何しろ名古屋人の血が半分流れていますので、ね。たとえ趨勢に反しようと、

身の程を忘れることはありません。 狂っているのは世の中の方だ、とね。

 

しかし、まわりが色々言う。多数決的に、こっちが間違ってるのか、そんな

気になりかかる。という時この本に出会い、フォードの思想の中に類似性を

見いだし、何とか揺らがずに済みました。 弱きもの、支えが要るのですよ。

 

*   *

 

「節約」が叫ばれたのは4年後の「石油ショック」から、「リサイクル」は

さらにその2年後からでした。その頃には、私の名古屋風地味経営に対する

見方も変わり、何か先見性があったようにも言われたり、、そんなものです。

 

*   *   *

 

第十二章「農村工業への復帰」および第十四章「動力の意味するもの」では

エネルギーの有効利用や環境問題を取り上げ、第十五章「生活に結びついた

教育」、第十六章「治療か予防か」、第二十章「生活にバランスを」などは

色々な意味で教育的、、、と、まさに経営学教科書。しかも

 

それぞれ、規模はささやかながら、すでに私の企業運営も類似の方針を織り

込んでいました。どう見えようとも、海のかなたの大先輩が保証してくれて

いるぞ。 そんな安心感が得られて、この本には大いに感謝した次第です。

 

*   *   *   *

 

世の中が狂っている時は、「まとも」でいる者の方が取り残されている形に

見えてしまうものです。自分でも、オクレテいるのではないかと不安になる。

それをうち消すのにこの本が役立ち、他よりも強固な経営基盤を着実に形成

することが出来ました。

 

***************

 

 

 

●これが基本的にはマネジメントの書

 

である、と言うのは、そのように「あらゆるアイデア」が網羅されており、

どの章でも(他の章との関連を保ちつつ)常に「最適の選択」が指向され、

また「不断の補強」にも積極的だからです。  それでも最終頁には、

 

 「だれも、未来について予言することはできない。我々は未来を思い

  わずらう必要はない。、、、未来は常にみずからその方向を定めて

  来た。、、最善を尽くしうる仕事をするなら、それが我々にできる

  すべてなのである。」

 

とあり、これは新約聖書マタイ伝の「あすのことを思い煩うな。あすは

あすみずから思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり」を思わせます。

 

どれほど才能や運に恵まれようと、人間わざの限界は覚悟しなくちゃ、、

「人事を尽くして天命をまつ」とも言いますからね。

 

 

しかし、いま我々の周囲は、その反対、、、に見えますな。 WHAT すら

怪しいのだから、最善を尽くしているとはとても言えない。が、躍起に

なって業績向上を強いる、、そんなリーダーが多すぎるのでは?

 

「何とかならんのか?」、叱咤するが、それは HOW の切り口。しかし、

ドラッカーが言っているように、「することが間違いなら、やり方が

正しくてもダメ」。リードされる側には、それが見える。「こんなこと

してて、いいのかなあ?」、 WHAT で考えている。 主客転倒ですな。

 

これじゃリードする側される側、ともに心の安らぐことがあるまい、と

ひとごとながら気になります。良いリーダーシップとは、時に鼓舞激励

することはあっても、「これで良いのだ」という自信をメンバーに抱か

せるものだろう、と私は思うのですが、、。

 

*   *

 

逆の順で言うと、メンバーの自信のもとは判断規準。それをビジョンやら

戦略やら方針の形で具体的に授けるのがリーダー。その在り方を暗中模索

していた当時の私には、このフォードの本は、実に「光」だったわけです。

 

*   *   *

 

原書で読みたいとおっしゃる向きもあろうか、とアマゾンを試みたところ、

復刻版ハード・カバー、1988年版、30ドル、通常24時間以内発送、

と出てきました。  フム、あちらでも未だ読む人がいるらしい、、、。

 

***************

 

 

 

●フォーディズム

 

すなわちフォード流生産方式とは、基本的には流れ作業。その中で行なわ

れるのは単純反復作業。その基礎はF.W.テイラーの提唱した「科学的

管理法」。  これはコントロールという管理に決まっています。

 

Today and Tomorrow は、その生産方式の開祖が書いた本ですから、話が

コントロールに及ぶことは不思議ではありません。が、それにおいても、

マネジメント的です。 コントロールの極致、「標準化」に関する記述。

 

 真の意味での標準化とは、消費者に対して最良の商品を十分なだけ、

 しかも最低のコストで生産できるようにするために、生産上のすべての

 最良の点と、諸商品のすべての最良の点とを結合することである。、、

 標準化は、それが向上への標準化を意味しないならば、何の価値もない。

                            (p.100)

 

 、、、もし諸君が「標準化」を、現在知る限りでの最良のものではある

 が、明日は改良されるべきものと考えるならば、諸君には見込みがある。

 しかし、もし標準を、制限を課すものとして考えるならば、そのとき、

 進歩は停止する。                  (p.101)

 

QCなどで言う「改善は永遠なり」のココロですな。守らなくちゃダメ、

と言うのは作業責任者、つまりコントロールの人。マネジメントの人は、

このように、「不断の補強」で encourage すべきなのです。

 

現状維持とは、即ち相対的劣化。 創造的破壊あるのみ、ですな。

 

 

しかし、製造現場のことだったら、40年間の長きにわたってフォードの

腹心を務めたC.E.ソレンセンが、遙かに具体的に語っております。

 

また、フォードみずからは決して語るはずの無かった「影」の部分を知る

にも、ソレンセンの My Forty Years with Ford は必読です。 ただし、

これはソレンセンの「光」の本。ソレンセンにだって「影」があるのです。

それを知るには、さらに別の本を読まなくてはならない、、、

 

キリが無い、、ようではありますが、、、無いのです。だから、出版社が

成り立つわけで。「別の本」でのお奨めは、ロバート・レイシーなる人の

Ford: The Men and the Machine 。 平成元年、新潮文庫で「フォード」、

上下2冊ものの訳本が出ています。 集大成的 all-in-one の良書です。

 

*   *

 

しかしソレンセンの本には、「後世の研究的著述」とは異なる迫力がある。

その場にいた人だからこその臨場感、と言うべきでしょう。訳本としては

産能大から「フォード その栄光と悲劇」、あるいは角川文庫で「自動車

王フォード」。翻訳の質は、後者の方が良いと思います。どちらにしても、

新本はすでに入手不能のようです。 古本でも、、、どうかな。

 

原書も、アマゾンでは見つかりませんでした。 やはり、親分の威光には

及び得なかったか、それともソレンセンの人徳に不足あり? いや、序文

をあのJ.K.ガルブレイスが書いてくれているくらいなのだから、、、

 

*   *   *

 

どちらの翻訳であれ、読むたび私にソレンセンが乗り移ってくる感じで、

いつか自分で翻訳しよう、と思います。十数年前、次男が向こうに遊学し

たいと言い出し、それならついでにソレンセン、と捜させましたが、古本

も見つからない。 やむなく図書館で全頁をコピー、持ち帰らせました。

 

そのくらい、ワクワク、ゾクゾクする本です、私には。

 

*   *   *   *

 

圧巻は全20章中の第19章 The Biggest Challenge of My Life(角川版は

忠実に「わが生涯の最大の挑戦」。 産能大版は「試練に勝つ」、そうも

言えるだろうけれど、<超訳>?)、彼の全知全能を傾けた一夜の物語です。

 

B−24爆撃機のメーカーが、軍の「一日一機」という要請にも応えかねて

いる時、フォード氏とともに現地を視察、ソレンセンは率直に失望を表明

します。当然、相手は反発して「あなたならどうしますか?」

 

「あすの朝には何か考えてまいりましょう」でホテルに帰り、スケッチの

山を築きます。 「私はいまでもその夜のことを思い出すが、、」以下、

 

  、、、フォードの大量生産システムを開発するには8年かかったし、

  一日に一万台の自動車生産の達成にはさらに8年かかった。だが、

  いま35年の生産の経験を注いでいるのは、これまで一度も手がけ

  たことがないばかりか、航空機の中で最も大きくかつ複雑なものを、

  考えられたこともないほど多量に、しかも速やかに製造する配置を

  一夜で設計するということであった。

 

たしかにこれは「最大の挑戦」。しかし、シビレるのはそのあとです。

 

  またしても私は、フォード社で何度も私が宣言した原理に則って

  いた。即ち、「我々が作ることが出来ぬ唯一のものは、我々が

  考えることの出来ぬものである」。

 

考えつく以上は、実現も可能。しかも、自分の手で! 現場リーダーの

カガミですな。  キミ考えろ、お前やれ、じゃないんだから。

 

  私はまだそのスケッチを持っているが、、、 いまなお、それを

  見ると興奮を覚える。その夜の激しい仕事の結果生まれたのは、

  ウィロウ・ラン工場の本当の概略であり、それは建造に2年を

  要したが、1時間に四発爆撃機一機、即ち1日に18機の予定を

  達成し、戦争が終わるまでに、全部で八千八百機の巨大な飛行機

  を組立ラインから空中に飛び上がらせたのである。

 

これぞエンジニアの本懐、ですな。勝海舟の言った通り、上に立つ者が

相応に利口なのさ、あちらでは。 部下もさぞ尊敬しやすいでしょう。

 

***************

 

 

 

●これら2冊の本、

 

フォードの Today and Tomorrow 、ソレンセンの My Forty Years を

併せて読めば、フォードについては「光と影」が揃います。そして

痛いほど感じさせられるのは、

 

    " The best of men are but men at best. "

     「至高の人間も所詮は人間」

 

です。あの尊敬すべきフォードにして何故?と不思議でもあり、また

残念でもあるが、「所詮は人間」、、なのでしょうな、悲しいけれど。

 

 

フォードについてソレンセンは言います。

 

  (フォードの「影」の要点を列挙した上で)欠点を挙げればこの通りで

  ある。それらは重大な欠陥で、どうやって自尊心を捨てずに、こんな男

  に仕えることができたかと不思議に思われることであろう。

 

  しかし彼の優れた素質、責任感、模範的な個人生活、それに広大な業績

  といったものに比べると、これらの欠点は物の数ではなくなってしまう。

 

  それだからこそ私は今なお彼を尊敬し、かつ「フォードの腹心」という

  レッテルを貼られたことに誇りを感じているのである。

 

*   *

 

やはり、40年をともにするだけの大きな魅力がフォードにはあったのだし、

そのフォードに対する彼の姿勢は、

 

  ヘンリー・フォードを理解しようと努力しても無駄だった。彼は

  ただ<感じとらねばならぬ>人物だったのである。

 

フォードの「影」を見て、左脳で考えた人は長くは続かなかった、という

ことかも知れませんな。相手が右脳で来るからには、右脳的に受けるほか

無いのではあるまいか。

 

*   *   *

 

ソレンセンが合わせられた理由は、彼の第1章 All That I Saw だけを

読んでもかなり分かります。ヒラメキ型の上司を持つ人には、いくらか

のヒントになるのではあるまいか。さらに、

 

*   *   *   *

 

  フォード氏と私ほど似ていない二人の男もないであろう。我々には

  ほとんど共通点がなかった。だが、どこのどんな企業においても、

  我々ほど密接な二人の男は見たことがない。

 

本田宗一郎と藤沢武夫、のようなものでしょうか?  よりハイテク的には

井深大と盛田昭夫、あるいはビル・ゲイツとポール・アレンも、でしょう。

実は私の父と私、私と(20年間、私の相棒だった)N氏、の間柄もまた

「共通点少なく、しかし密接」でした。

 

そのようなコンビ、滅多にあるものではない。千年に一度、、では大げさ

かも知れませんが、敢えて私は「千載一遇」と申します。 私の幸運は、

第一の人生で、それを2回も経験したことでした。  スゴイ確率!

 

皆さんにおいては、いかがでしょう? そんな相棒、必要ですよ。もし

未だなら、、、うーん、これは技法じゃどうしようも無いことなので、

、、、そう、たとえば、、、お祈りでも?  求めよ、さらば、、、

                          ■竹島元一■

================================================================

fnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfnfn

                     ■ホームページへ戻る